スポンサード リンク

日本人が知っておくべき神道の秘密

神道では勇猛心が肝腎。神道の基本精神は明るく積極的です。浄、明、正、直といいますが、明るくてまっすぐで前向きなのです。神道ではあまり罪がどうのと言いません。キリスト教などでは原罪など、罪の概念が強いですが、神道は人間は罪の子でなく、喜びの子です。なので、罪が積み重なれば、みそぎばらいして、清めることで精算します。払い清めるのです。6月末と12月末に、人形(ひとがた)に息を吹きかけて罪をそこに移し、それをお焚きあげすることで、罪穢れを払うのです。そして、きれいになると、また明るく前進していきます。勇猛果敢に前進するのが神道的な人生観です。死ぬまで前向きに進んでいくのです。日本文化の精神性のベースにこのメンタリティがあるので、日本はどんな逆境からでもよみがえるのです。純粋な仏教や、キリスト教のメンタリティにはないところです。

神道は永遠に発展していく世界観

神道は生成化育、進歩発展の世界観です。天照大御神が天孫降臨するニニギノミコトに下された天壌無窮の神勅では、神を祭ることを専らとする限り、永遠に繁栄、発展していくことを約束しています。始まりがあって終りがあるキリスト教的な世界観とこのあたりが違っています。罪や汚れは定期的に禊祓いして、清らかな状態をとりもどし、どこまでも明るく発展していくのです。ただし、この永遠無窮の繁栄の条件は「神を祭る」ことです。それを忘れた時、どうなるかはわかりません。日本民族の精神世界のベースにはこの神道思想があります。それゆえにキリスト教的な原罪思想は、定着しなかったのです。日本人は罪についてそのようには感じないのです。これからの日本は、もう一度、この神道の精神に回帰して、混迷をのりこえるべきではないでしょうか。

神道とは何か

神道に関してと問われて、うまく説明できる人は少ないです。それだけ日本人の生活の中に溶け込んでいるのです。日本人が生まれてから、死ぬまでに体験する伝統行事や伝統文化のなかに、神道にもとづくものが多数含まれています。神道の特徴を表す言葉に鎌倉時代に幕府の執権、北条義時によって、編纂された御成敗式目の第一条があります。その条文には、「神は人の敬によりて、その威を増し、人は、神の加護によりて、運を添う」と記載されています。御成敗式目は当時の日本人の中にある常識や道理を元にして、それを条文化したものとも言われていますが、これが日本人の多くが考えていたものだったのです。ここで重要なのは、神は人の敬によって、威力を増すという言葉です。人が崇敬することで、威力を高めていく存在が、神であると。

人の側の積極的な崇敬という行動が必要

天孫降臨の砌、天照大御神は、天下るニニギノミコトに、「天壌無窮の神勅」を下されます。この神勅の意味は、皇孫が、神を祭ることを専らとする限り、その繁栄は永遠のものであると約束している点です。ここでも神を祭ることを、重視しているのです。神道は天地開闢のあと、永遠に進歩発展していく世界観です。キリスト教などは、始まりと終わりがあります。終わりは最後の審判であり、ここで世界が終わってしまいます。それはいつ来るのかはあきらかにされていませんが。これに対して神道は、神を祭ることを忘れぬ限りは、永遠に繁栄するのです。キリスト教では原罪という観念があり、人類を罪深いものとみます。しかし、神道では「人は祖に基づき、祖は神に基づく」といって、人の祖先のそのまた祖先のそのまた祖先は神様であり、人は神の子であり、喜びの子であるのです。神道における神の世界では神々は労働を喜んでなさっています。天照大御神様は、ハタを織り、イネを育てておられます。

労働も出産も神道では喜び

神道の神々はどんどんお子様を御産みになり、神が神を生んで、どんどん増えていきます。キリスト教では、アダムとイブの罪ゆえに、罰として労働の苦しみが男性に、出産の苦しみは女性に与えられました。神道では喜びである労働と出産が、キリスト教では苦しみになります。また、神道では罪や穢れは禊祓いにより清めれば問題なしとします。みそぎをすることで穢れは払われて、清浄な己が回復するのです。一生、原罪を背負って生きるキリスト教とはこのあたりもまったくの逆です。それゆえに神道は、明るくて、回復力があって、前向きな日本人の精神の根本を形作っているのです。日本に生まれて、神道のことを知らないで生きていることは、自分の両親の名を知らぬまま生きているに等しいのです。日本人でありながら、非神道的なおかしな考え方にはまっている人がいたら、その人は、まず神道をしっかりと学ぶことで、自分のアイデンティティーを取り戻すべきです。
 


スポンサード リンク



※著作権は放棄していません。ウェブサイト上の画像・文章などの転載、引用はお断りいたします。