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人は魂を磨くために生まれ変わる

【質問】

前世について わたしはクリスチャンなので輪廻は信じていませんので抵抗を感じています。何処かの神社にお参りに行く必要があるのでしょうか?わたしはそのような事が出来ないので そのような人にはお薦め出来ない内容なのでしょうか?


【回答】

ブライアン・ワイス博士の症例の多くはクリスチャン

前世への退行催眠を世界的に知らしめた人は、米国人の精神科医ブライアン・L・ワイス博士です。ワイス博士が診察した患者達はアメリカ人であり、多くは、敬虔なクリスチャンでありました。クリスチャンであるということは、基本的に前世など信じていません。しかし、催眠状態の中でしっかりと詳細に前世を思い出し、その体験により人生観が変化し、病苦から解放されたり、生き方の苦しみから脱却した人が多数いたのです。キリスト教徒の方は、まずは、ワイス博士の著書をお読みください。PHP出版からたくさんの著作が日本語訳されて出ています。

イエス・キリストと生まれ変わりや因果応報

お友達に前世療法を勧めたいけれど、その人がキリスト教徒であるという場合も、これらの書籍をまずご提案致します。前世を否定される方には、「効果があれば良いのではないか」という考え方から入られるのも良い方法だと思います。実際にはイエスキリストについて詳細に調べればわかることですが、イエスは、生まれ変わりを理解していました。というよりも知っていました。初期のキリスト教の教えの中には生まれ変わりや因果応報がしっかりと含まれていたと考えるに足る証拠がたくさんあります。これを説明すると膨大な量になりますので、ご自分で調べて頂きたいのですが、イエスが始めに学んだ場所は生まれ変わりを肯定するユダヤ教の一派であったことは有名です。ユダヤ教は生まれ変わりを肯定し先祖祭りをする宗教です。

原始キリスト教徒の文献に残る転生思想

初期の司祭たちの残した手紙の中には生まれ変わりについて理解していなければ書けない記述が残っていることや、現存する聖書の中にさえ、生まれ変わりを意味する記述が削除しきれずに残存していることなどが知られています。イエスの死後、キリスト教が宗教として発展する過程で教義内容を選定する会議が何度か行われ、その都度、異端とされ排除された派閥がありました。その中で生まれ変わりについては認めないこととされ、聖書の原典からも文言が削除され、現在の聖書の内容になったのです。こうした過程を経て、現在のキリスト教が出来上がったのであり、ある意味ではイエスのほんとうの教えは歪められた状態にあります。

キリスト教とユダヤ教と神道の不思議な関係

なお、神社についてですが、これは古代の日本史をよく研究して下さい。すると、古代のユダヤ民族も日本に渡来していることがわかります。そうした研究書籍は多数入手することができます。そして、結論として、神道や神社というのは古代ユダヤの信仰が日本において形を変えた姿なのです。キリスト教徒とユダヤ教と神道との関係は多数の研究者による多数の書物があります。キリスト教とユダヤ教と神道は、つながっているということであり、キリスト教徒が前世療法を受けても伊勢神宮や靖国神社に詣でても何の問題もないということなのです。

生まれ変わる意味を悟ると幸せになれる

人間は魂を磨くために生まれ変わり死に変わりしている。魂を磨くとは、完全円満な理想的人格をめざすこと、そして多芸多才の万能自在な人をめざすこと、この二つの局面で向上していくことが万人における、共通の天命であり、ほんとうの生きる目的です。と、申し上げると、そんな高尚なことはわからない。そんなことよりも今、病気を治したい。今、家族関係を改善したい。今、お金がほしい。今、悩みから解放されたい。そのようにおっしゃる人が多いです。これは無理もないことなのです。それでも、その思考法ではいつまでも悩みから脱出できません。ところで、魂を磨くというのは終わりがない目標です。完全円満な人格をめざすのに完成地点はありません。万能自在になるのにも完成地点はありません。つまり、終わりのない永遠の目標にむかって、はてしなくチャレンジし続けている状態が私たちの基本設定なのです。

道元の悟り「修証一如」

道元禅師(鎌倉時代、福井県に永平寺を開かれた禅師)は、「修証一如 (しゅしょういちにょ)」と教えています。修(仏になるための修行)と証(仏であるという証)は、一如(同じ)だというのです。「これから修行して仏性を得るのではない。いま、すでに仏性があるからこそ修行することができるのだ」「修行することができるというそのことが、いま、すでに仏であることの証(あかし)だ」という、非常に深い意味なのですが、刻々に磨いていくその生き方の中に、私たちの中にある神様が発動されているのだということです。これが「普遍的宗教的人生観」です。ですから、前向きなチャレンジに終わりはないし、進歩向上に終わりはありません。

進歩向上の途上に真の幸せがある

その途中経過そのものが天国であり、歓喜であり、幸福の真っ只中であるということなのです。結婚できる、病気がなおる、収入が増える、入学できる、家庭円満になる、こういうものはすべてゴールがある目標です。ゴールがある目標しかない人は、もし、それがいつまでも成就しなかったら、心がくじけます。あるいは実現できないのだとわかったら、心が萎えます。信念に生きる人の最大の問題点はそこなのです。信念ではなく、信仰(普遍的宗教的人生観)に生きる人は、いつでも明るく前向きです。なぜなら、途中で野たれ死にしようが、途中で命がつきようが、いっさい関係ないからです。

天佑神助に守られる最強の生き方

とりあえずの目標(ゴールのある目標)を立てて、そこに努力はしますが、その背後には、永遠の目標(魂を磨く)があるのです。この状態になると、人間はもっとも強いのです。なぜなら、本人の魂が発動して輝き、潜在意識がフルパワーになるので自力が最大レベルに出るし、同時に、神仏の加護が正しい生き方であるがゆえにさずかるので天佑神助が現れてくるからです。

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