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スピリチュアルな法則

「困っている人は本人のカルマの清算だから放っておけ」という思考のどこが間違いであるのかといえば、以下のような説明ができます。私達が生まれてきたのは、神の愛を学び、実践することであるとすれば、愛には、慈悲つまり慈と悲の側面があります。慈とは、母の愛、子供を保護するような愛です。悲とは、父の愛、我が子に試練を与える厳父の愛です。生きていくことは、この慈悲を実践して自分が進歩向上して、神なるものへと近づいていくことです。マザーテレサは、貧しい人の中に神がいるとおっしゃいました。その神様に私は奉仕しているのだとおっしゃいました。つまり他者救済であると同時にこれは「自己救済」の活動なのです。他人を救っているようですが、実際には自分を救っているのです。はるか遠い未来に、そうやって、全人類が実践するようになると、カルマが現実化する出口はどんどん減っていき、自然災害や病気や先天性のハンディキャップなど限られたものへと変化していくことでしょう。ずいぶんと人間社会も変化しているでしょうね。それを「地上天国」と呼んだり、密厳国土と呼んだり、理想世界と呼んだり、いろいろな宗教が言っていますが、この方向性にいずれはむかうのでしょう。

因果応報はその時どう選択するか

例えば、乳児遺棄などの犯罪で赤ん坊を死なせた親には、それをしないで愛して育てるという機会が与えられていました。選択の機会です。それを選択すれば、カルマの繰り返しから逃れられたのです。死ななければならなかった赤ん坊は、確かに前世でカルマができた魂だったかもしれませんが、この親の魂が目覚めていれば、死なずに生きて前世の罪を別の形で償うこともできたでしょう。お互いが互いに一回限りの選択の機会を与えて、試験を受けさせたのです。進化するための試験です。赤ん坊には、当然、その前世でのカルマがありますので、そのカルマが現実を引き寄せます。どこに生まれるか、どの親に生まれるか、生まれてからどんな試練にあうかも、前世とのかかわりで決まります。霊界には生まれ変わりの指導やアドバイスをする魂のガイドがいますので、その存在と相談して、どの親の子に生まれるかを決めているようです。時には前世の因縁で、どうしても、敵やライバルなど嫌な人の子供に生まれるケースもあります。結局は法則や学びについて諭されて、しぶしぶ納得して生まれていくのです。

恋愛と因果応報

恋愛においては、浮気や不倫の問題が多くの人を悩ませます。浮気や不倫している人の因果応報はどのようなものなのでしょうか。ワイス博士らの前世療法の症例を注意深く調べていくと、恋愛問題における因果応報の法則の現れ方がわかってきます。ブライアン・ワイス博士やジョエル・ホイットン博士、およびその他の前世療法の症例集を調べていくと、不倫という恋愛の形は、時にマイナスのカルマをつくっていることになるようです。これは、二つの不義による苦しみを人に与えたという悪業です。一つは自分の本来の配偶者をあざむいて苦しめる悪業。もうひとつは交際している相手の本来の配偶者をあざむいて苦しめる悪業。もっとも、これはその事実を知られることで相手に苦しみが生まれますので、一生、誰にも知られず誰も苦しめない配慮をつらぬく場合は、事情が違う可能性もあります。どのような種類であろうとも、私たちは、他人を苦しめた悪業のあがないを死後および生まれ変わった後で、つぐなうことになります。多くの場合で、自分がしたように、今度は自分がされる側に立ちます。因果応報の法則では、人を幸せにした分だけ自分も幸せになり、人を不幸にした分だけ、自分も不幸になります。

誰かを苦しめることは避ける

不倫の恋愛とは、それが明るみにでる騒ぎを生み出すことで、他人を不幸にします。自分が幸せを得るために他者を苦しめる結果になりやすい行動様式だといえるでしょう。秘密が明るみに出れば、多くの人が苦しみ、その因果の法則であがないをしなければならなくなります。今だけよければ、どうなってもよいと思っている人が多いようですが、こうした生き方は最新の注意で、秘匿し続ける場合をのぞいては、あがなう苦しみはたいへんなものです。それを思えば、嘘、欺きの中で、自分さえよければよいとの、生き方で人生をおくるデメリットを悟るべきです。芸能人のニュースなどは、恋愛、不倫、離婚などにぎやかですが、こうした行動を繰り返した芸能人は相応に人気が落ちていき、社会的に制裁されていることは明らかです。これは、普通の人であっても同じであり、隠し通した場合は、誰も苦しめないから、カルマを最小限に抑えるものの、生まれ変わったら、今度は自分が、同じことをされる側に回ることになるでしょう。後から、どっと借金返済をしなければならないということになりかねません。やむにやまれぬ事情があるケースもあるかとも思いますが、少なくとも、あがないをしなければならないかもしれない因果応報が存在することは、知って、謙虚に心を保ち、秘匿すべきは秘匿し、誰をも苦しめぬ心配りが不可欠となるでしょう。

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